今週は本当に激動の一週間でした。
まだ心の整理はつかず、涙が溢れてくる毎日ですが、少しずつちぇりの「命の証」を残せたらと思い、PCの前に座りました。
ちぇりの最期の時。
8月6日は一日通して落ち着いてる様子に見えました。
呼吸も落ち着いていて、水もシャワーからよく飲む事ができ、ヨーグルトもスプーンで一杯ペロペロとなめる事が出来ました。落ち着いている様子が嬉しい反面、どこか不安も感じていた私です。
その夜は、颯竣を寝かせてから、パパとママはちぇりちゃむと一緒に寝ました。
子どもが生まれてからはずっと別々で寝ていたので、本当に何年ぶりに。
夜中、何度か呼吸が苦しそうな様子。
そして、8月7日。
朝から呼吸は少し荒く、時々深く息を吐く様子も。
水も、大好きなシャワーからもあまり飲みたがらずに。
呼吸が荒いことは今までにもあったのですが、いつもと違う感じがして病院へ。
いつもは、診察券を一度出しに行って、家に戻り時間が近くなったら一緒に病院へ行くのですが、この日はなぜだか家に置いて行ってはいけない気がして、一緒に病院へ。
診察の順番が来るまでは、車で待っていて、無性に心配でちぇりの様子を何度も見てました。
そして、診察の順番が来て、診察を受け、先生からは「あと2~3日で」と告げられました。
飲み込む事も出来ない状態になっていて、水もストップ。
でも、最期の時が訪れるまで、ちぇりが少しでも楽に穏やかな気持ちで痛みも少なく過ごせるようにと、多めの点滴を痛み止めの注射をしてもらいました。
点滴をしてる十数分の間、先生のご配慮でちぇりの顔の目の前に座らせてもらい、ずっとずっとちぇりのマズルをなでていました。マズルをなでていたのは、私の手が点滴や診察の邪魔にならないようにと言う思いと、マズルをなでている時のちぇりの表情が大好きだったからもあります。
涙が止まらなくてずっと泣いてなでてた私でした。
そして、点滴を終え、先生が車までちぇりを運んでくださり、帰宅に。
病院から、昨年の12月まで暮らしていたアパートは車で1分程の距離で、アパートで暮らしている間、アパートの両隣さんにもちぇりの事をとても可愛がってもらっていたので、「あと2~3日で」と告げられ、これが最後になるかなと思い、家に帰る前にアパートの両隣の方にちぇりに会ってもらおうと寄ることにしました。
病院から1分程でアパートに到着して、両隣さんを呼びに行ってちぇりが乗る車の後ろのドアを開くと、既にちぇりのお腹は動いていませんでした。病院を出発して数分の事でした。
あまりに突然で、信じられず。その時に、スーッと言う音が聞こえたように感じたのですが、それがちぇりの最期の吐く息の音だったのか、ただ車の空調の音だったのかもハッキリ分からず。
でもその音が今でも忘れられません。
あまりに突然で、動揺してそのまま病院へ戻り、車に乗ったまま先生に確認してもらいました。
先生を待っている間、私はちぇりの体に顔を埋めて「ちぇりー!ちぇりー!!」と呼び戻すような叫び声しか出すことが出来ず。
これがちぇりの「最期の時」でした。
今思い返せば、
点滴の時間・・・、どうしてちぇりに私の笑顔を見せてあげられなかったのだろう。
どうしてあの時・・・、アパートで両隣さんを呼びに行く前に一度ちぇりに様子を確認しなかったのだろう。
どうしてあの時・・・、ちぇりの最期の時に落ち着いて向き合えなかったのだろう。
と、。。。そう思うと、胸が張り裂けそうな思いになります。
でも、「最期の時」「最期の場所」をちぇり自身が決めたのかなとも。
最期に、とてもお世話になった病院の先生や看護士さんに挨拶に行って、そして点滴のあの数十分はちぇりが私にくれたプレゼントではないか。
そして、最後の夜にちぇりちゃむとパパママで同じ部屋で寄り添って寝ることが出来たのもちぇりからのプレゼントではないか。
最期に、アパートへ引き寄せてくれたのもちぇりで、家まで帰ってると、最期の息も聞くことが出来なかったし、それに私一人で「最期の時」に向かわせる事がちぇりは心配だったから、アパートの両隣さんの所へ引き寄せてくれたのでは。
とも思います。
最期の最期まで、私はちぇりに助けられ、支えられ。
最期の最期まで、本当に本当に「カッコイイお兄ちゃん」でした。
ちぇりの存在は本当に本当に本当に大きくて。。。
今、ちぇりは沢山の沢山の花に囲まれています。



ちぇり、ありがとう。
本当に本当に本当にありがとう。
イッパイ、イッパイ、イッパイ泣いたら、ちぇりの大好きな笑顔に戻るからね。
本当に本当に本当に本当にありがとう☆ちぇり、大好きだよ!!!!!